小説 / T.R.Y


時は明治四十四年、ところは上海…。
この街で暗躍する名うての日本人詐欺師「伊沢修」は、チーメイと呼ばれる謎の暗殺集団に、命を狙われていた。そんな彼に、救いの手を差し伸べたのが、中国革命同盟会の幹部「関虎飛」(グァン・フーフェイ)だった。
グァンは、暗殺を思いとどまるようチーメイに話をつけてやる、と、伊沢に持ちかける。そのかわりに、詐欺師としての手腕を生かし、日本軍将校から大量の武器を騙し取るよう、伊沢に要請する。グァンは、革命を起こすための武器を必要としていたのだ。
伊沢は、グァンの頼みを聞き入れ、詐欺師仲間を集めると、日本陸軍中将「東正信」に狙いを定め、一大ペテン作戦を決行する。そんな彼らのまえに、あらゆる困難が立ちはだかるのだが…。
この小説は、辛亥革命前夜の清国(中国)と日本を舞台に、詐欺師である伊沢修が、八面六臂の活躍をする物語である。ダマしの場面はスリリングでありながら、思わずニヤリとさせられる。ストーリーも二転三転し、最後まで読み手を飽きさせない。まさにエンターテインメント小説の傑作だ。
本作品は娯楽性を追求した小説ではあるが、それでも、書き手の心情は顔を覗かせるものだ。グァンの語る革命の理念や、伊沢が、上海に建つ豪奢な欧風建築物を眺めて吐く言葉に、それらが現われている。どうやら、本作品の作者は、大陸への深い愛情とシンパシーの念をもっているようだ。私も、いくらか同じ思いを抱いている。ゆえに、このT.R.Yを、本コーナーで紹介させていただく作品に選んだ。
ちなみに、このT.R.Yは映画化されているが、原作には遠く及ばないものであることを、付記しておく。

著者/井上尚登  出版社/角川文庫

小説 / 「血と骨」


日本が朝鮮半島を植民地として支配していた昭和初期、堂々たる体躯の男が、チェジュ島から大阪にやってきた。男の名は金俊平。腕のいい蒲鉾職人でありながら、あまりの粗暴さゆえに、誰もが恐れる存在である。物語は、この金俊平の流血と波瀾に満ちた半生の軌跡である。
本作品を読んで、主人公「金俊平」に感情移入する読者はいないだろう。それほどまでに、金俊平の暴力はすさまじく、常軌を逸している。だが、欲望むき出しで生きている彼に、密かな羨望も禁じ得ない。たったひとりで、荒くれ者の集団をなぎ倒す金俊平の圧倒的な腕力に、どこか、痛快さも感じてしまうのだ。彼の生き方には、躊躇も、抑制も、配慮、規範も、なにもない。ただ、己があるのみなのだ。
劇中、金俊平の心理描写は極めて少ない。かわりに、彼の友人である高信義や、妻の英姫に、人間らしい描写を多数ちりばめている。読者は、これらの、いわば「普通の人」の目を通して、金俊平を傍観するというかたちになる。そして、金俊平が何物かを考えさせられる。この怪異なキャラクターはどうして形成されたのか…。なにが、彼をこのような人間にしたのか…。それは、人の心の暗部や、当時の社会背景とも繋がってくる命題だと思う。
本作品は、暴力だけでなく、活気と猥雑さに溢れた朝鮮長家の様子や、性についても、ビビットに活写されている。非常に刺激的な内容なので、読む時は覚悟(?)をきめたほうがいいかもしれない。

著者/粱石日(ヤン・ソギル) 出版社/幻冬社

近・現代史 / 日露戦争がよくわかる本


今年2005年は、日露戦争戦勝百周年となる。こうした記念すべき年ということもあるのか、ここ最近、日露戦争に関連する書物の出版が多いように思う。本書は、昨年出版されたものだが、この戦争を知る非常にわかりやすいガイドブックだ。
現在の視点から考えれば、維新断行後四十年も経っていない新興国「日本」が、国力十倍のロシアに戦争を挑むなど、暴挙としか思えない。しかし、当時の日本の指導者たちは、じつに、したたかに、この戦争を指導していた。まず、開戦前から、戦争集結の折には和平仲介の労をアメリカにとってもらおうと、緻密な外交戦術を展開している。また、巧みな世論誘導や、海外での戦費調達にも成功している。そして、多大の犠牲を払った旅順攻略をはじめ、バルチック艦隊を迎え撃った日本海会戦など、重要な戦闘でも勝利を収めている。まさに、政治、経済、軍事が、踵を接して、国難を乗り切ったといっていい。
この戦争を有利な状況で集結させたことにより、日本は、晴れて欧米列強国と肩を並べる存在となり、国家として、ひとつの完成状態を迎えたといってもいいだろう。
国難とはいかに乗り切るべきか…。危機管理とはどうあるべきなのか…。明治の指導者たちから、我々現代人は、まだまだ多くを学ばなければいけないようだ。

著者/太平洋戦争研究会  出版社/PHP文庫